大学1年生の時(1976年)ギタークラブの仲間と熊本の郵便貯金会館(現在のメルパルクホール)にリサイタルを聞きに行きました。
鼻息の荒さに驚きながらも、魂の底から響く演奏に感激した覚えがあります。楽屋にサインを頂きに行ったとき、ビラ・ロボスの前奏曲の楽譜が渡辺さんの鞄の中に入っていて、完璧に演奏できる人でも楽譜を持ち歩いて常に研究しているのかと随分驚きました。その後、人がはけたホールで渡辺さんと共に記念写真を撮影しました。(渡辺氏の左は元九州ギター音楽協会会長西野博氏、右は同、元副会長吉田邦治氏)
[当時のプログラム(1976年5月20日)]
九州ギター音楽協会の方々の阿蘇合宿に参加された渡辺さんは、夜の懇親会の席上で、ギターケースを足台代わりにバッハの組曲(何だったかは不明)を演奏されたそうです。完璧だったので、「どうして演奏会で弾かれないんですか?」と質問したら、「まだまだなので」というお返事。え?あれでまだ出来ていないの?と一同驚いたという逸話も聞きました。
その後かなりの期間、クラブでは、渡辺氏お得意のヴァイスのファンタジーや、ポンセ(伝ヴァイス)の組曲を弾くのが流行りました。
NHKの「ギターを弾こう」は言葉少なで、レッスンの体をなしていなかったのですが、最後のミニミニコンサートが毎週楽しみでした。
彼の出したレコードは数少ないですが(1〜2枚だったと思います)、完成度のとても高いものです。
現代ギター社から入手可能
今日になって初めて先生の死を知りました。
一昨年の夏だったと思いますが、久々に先生のLPを聴いて想いを馳せていました。爪を切り、ギターを弾かなくなって20年経ちます。
先生の「ファンタジー」は私の青春そのものでした。テレビ放送を録音して、そして何度も何度も繰り返し練習しました。
あの美しい曲がどうしても弾きたくて、門下生になりました。思い切って門を叩いたときの高鳴る胸の鼓動、温かく迎え入れてくださった練習室、そして、先生を囲む数名の先輩門下生たちとの温度感が蘇ります。
ご冥福を心よりお祈りいたします。
高校の3年間、範彦先生のレッスンを受けていました。
卒業以来一度もお会いする機会がなく、ネットサーフィン中にこのような形での再会となってしまいました。
とても残念でなりません。
心よりご冥福をお祈り致します。
12月12日に上京して小平市の渡辺範彦先生のご霊前と、奥様と美しいお墓参りをしてきました。天国で再会できるよう頑張って生きていく決心をして京都へ帰ってきました。
ごゆっくりお眠り下さい範彦先生。
上野の文化会館小ホールでの初リサイタルに一番に入場し最前列、かぶりつきでドキドキしながら見て聴いたのが30数年前でした。ニキビ面の初々しい氏が現れ、座り、ギターを抱えて弾き出す迄の緊張の時間・・・かすかに震える指先を見ながら、どうなるのか固唾を飲んで見守る中、引き出した音の透明で甘く、ファーンと広がる音に感動し、その後は酔いしれました。センセーショナルなデビューでした。正に“日本のギター界の歴史がその時動いた”・・・でしょう。私はそれを機に素直にサラリーマンの道を選びました。渡辺範彦さんのご冥福を心からお祈り致します。
Posted by: 野崎道雄 at 2004年09月05日 00:079月に東京で渡辺範彦氏を追悼するん演奏会が企画されてるようです。下記サイトをご覧下さい。
http://www.homadream.com/news.htm
私は今から25年も前になりますが渡辺先生のところでお世話になっていた者です。先生がお亡くなりになられたと知り大変にショックでした。まずは先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。
M先輩とはじめて先生のお宅に伺った時。ちょうどK氏のレッスンの最中でした。レッスンへの熱の入れようまたK氏の見事な演奏を聴き足がすくんだことを覚えています。
当時、先生とプレムジカのメンバーとのジョイントコンサートが年に何回か開かれていたことを覚えております。ここね皆様にお願いなのですが、今での現役でギターを弾いておられる方々で渡辺先生を偲ぶコンサートを開いていただけないでしょうか。きっと先生も喜んでくださることだと思います。どうか宜しくお願いいたします。
>さちこさん
私も幻の録音とかが出てこないかなぁと淡い期待を抱いてますが…
NHKには当時の録画があるはず。
しかし、マラソンが早くなったって面白いですね。
「ギターをひこう」当時高校1年だった私は金土のこの番組がどうしても見たくて駅まで全速力で走りました。
おかげで学校のマラソン大会では上位でゴールできました。
「ミニミニ・コンサート」ではビラロボスの前奏曲1番、タンスマンの舟歌、ソルの練習曲1番、魔笛、愛のロマンス、ファンタジア、主よ、ヘンデルのメヌエット、マリエータ、ショパンの前奏曲などを弾かれたのを憶えているけど、後はなにを弾かれたのか憶えていません。
どうして録音しておかなかったのか超後悔です。
録音していた人っているのでしょうか?
1979年頃西国分寺お宅でレッスンを受けていたものです。渡辺範彦氏が亡くなったことを昨日知りました。正直ショックです。怠けがちな私を叱咤する代わりに練習曲を弾きまくった時のギターの音は本当に素晴らしかった。2メートルの距離で聴けたことは生涯の宝物です。J.ブリームのリサイタルにお供したことも懐かしいです。氏のご冥福をお祈りします。
Posted by: 上沢 幹夫 at 2004年05月25日 11:18皆さんのコメント懐かしく嬉しいですね。
渡辺範彦先生の演奏はパワーがありました。
謦咳に接することができたのは無上の喜びです。間接的ですが。
先生の凄いところは、なんといっても謙遜のしすぎで、ぜったいに偉ぶらない点です。
「ギターを弾こう」での教え方は、みているほうがどぎまぎしてしまいます。
ああー、タイムマシンがあればなぁ。
それにしても他のプロ・ギタリストの演奏はプロでさすがだなぁ、と思っても、「なんだこの音というか、演奏は!?」と寝っころがって聞いているのをはねおきさせるのは渡辺先生の演奏だけだったのです。
先生、お願いしますから、天国でのリサイタル開いてください。 合掌
Posted by: 水野尚 at 2004年04月21日 07:52ソノシートはテキストに書いてあったのに買わなかったなあ。翌年の芳志戸幹夫さんのソノシートを買ってから、テキストにないコメントが書いてあるのを見て渡辺先生のも買っておけばよかったとあとから思いました。
それにしても、渡辺範彦さんは以外にいろんな曲を弾いておられたんですね。そういう幻の名演奏をセゴビアみたいにまとめてCDやDVDで聴けるといいのですが。
Posted by: メンヒ at 2004年04月06日 22:36皆さんからの偲ぶ声がいろいろと投稿されるたびにあらためて先生の偉大さが再認識されますね。
さちこさんがおっしゃる「NHKでのバッハのリュート組曲」は、山下和仁氏と競演し、大木正興さんが司会を勤められた、通称第4番のことでしょうか?
幸いにも私は収録に立ち合わせてもらえました。山下さんのノクターナルも、先生の第4番も一発撮りなんですよ。凄いですよね。
一発撮りといえば、当時別売りで出ていたソノシートもみんな一発撮りなんです。
(ただし「主よ、人の望みの喜びよ」を除いて(笑)」
あのバッハはギターをひこうのために久坂さんが特別に編曲したものなのですが、譜面を渡されて2、3日では流石の先生も完成できなかったようです。
その他はすべて1日で一発撮りです!
当時も教育テレビは予算があまり無くて、撮り直しはさせてくれませんでした。
ちなみにスタジオに見学に行ったときに突然、「モデル代が浮く」ということで、後期のテキストに載っている「姿勢」や「手の形」をその場で撮影することになりました。事前に話してくれれば、あんなみっともないTシャツで行ったりしなかったのに・・・恥ずかしいです!
僕は、京都に住んでいます。縁あって2ヶ月に1度くらい上京して、レッスンを範彦先生に見ていただいていました。ご承知とはおもいますが、非常に頭の低い方でご自分に非常に厳しく、ご自分の演奏については、人に聞いてもらう資格はありません、といつも言っておられました。範彦先生のレッスン室でとめていただきご家族と一緒に食事を共にさせていただいたことが思い出されます。
Posted by: 黒川 達也 at 2004年04月02日 23:54渡辺範彦先生が亡くなられたと聞いてちょっとショックです。
なぜか「ギターを弾こう」の第一回目を偶然見てしまってから、先生の信者になってしまいました。
当時はプロのギタリストの音とはかくも凄い物かと思っていたのですが渡辺先生が特別だったことを一年後に知りました。
先生の「ファンタジー」素晴らしかったですね。
先生のNHKで放送された「バッハのリュート組曲」素晴らしかったですね、某国の某有名ギタリストの演奏の比じゃありません。世界最高です。
渡辺範彦さんが「ギターをひこう」の講師をされた時、高校1年だった私は毎週金曜日の放送(日曜日の再放送も)を唯一の先生として拝見してました。加藤さんは放送の中で、上級者として野崎さんと一緒に出演しておられた方ではないですか?
前年の荘村清志さんに比べると、正直テレビには向いてない方だと思いましたが、それでも日本人で初めてパリコンを制した実力と、演奏にかける気迫を随所に見せていたのではないかと思います。偉大な音楽家のご冥福をお祈りします。
Posted by: メンヒ at 2004年03月24日 15:37>加藤さん
さっそくにお返事ありがとうございます。
「もう一度弾いて下さい」の話は私たちのギタークラブでも一時期話題になってました。
テレビなのにそりゃないだろーと。
でもミニミニコンサートが素敵なので毎週見ていました。
ごゆっくりで結構ですから、又色々教えて下さい。
塩田さん
早々のレスポンスありがとうございます。
収録の際のエピソードはといえば、ものすごくたくさんあって一度に紹介しきれないかもしれませんが、先生の人柄から来るエピソードで今でも仲間内で大笑いになるものをまずひとつ。
・皆さんご存知の通り1年間で52週の放送がありますので、隔週の日曜日にスタジオに集まり2本撮りをします。生徒は初級・中級・上級に各2人いて交替でやるのですが、1本目と2本目の間に「休憩」と「リハーサル」があります。
基本的にリハーサルはカメラアングルのためのものですので、生徒がおかしな解釈や間違った演奏をしても「直さないように」プロデューサーは先生にくぎをさします。ところが先生はつい「こうしたらどうですか?」と言ってしまう事もしばしばでよくおこられていました。
また休憩時間にスタジオのロビーで練習していると、いろいろとと運指や解釈を教えてくれるのですが、ここでもディレクターに大目玉をもらっていました。
気になる点があると黙っていられないという、先生のお人柄が偲ばれるエピソードだと思いますが、本番になるとあがってしまい、何を言ってよいかわからないくらい舞い上がってしまった結果、「はい、もう一度弾いて下さい」と蚊の鳴くような声を出すこともしばしばでした。
いずれにせよ、カメラがまわっていないときのスタジオでの演奏(壁に向かって一人で黙々と弾いている時)はまさに神がかり的なものばかりで、当時高校生であった私の脳裏に強烈焼きつきました。なかでもタンスマン、トローバ、テデスコ等はその時の呪縛からなかなか抜け出せなくて、私が自分のコンサートで披露できる気分になるまでに20年を要しました。
>加藤さま
コメントありがとうございます。
もしよろしかったら番組収録中のエピソードなどお聞かせ願えればと思います。
又思い出す方もおられるでしょう。
思い出を語って差し上げる事がご供養にもなるのではないかと思います。
>水野さん
ご丁寧なコメントありがとうございます。
すぐにレスポンス出来ずにすみませんでした。確かに至宝と呼べる演奏家だったと思います。
魂を揺さぶる演奏をされました。
私は1975年に渡辺範彦先生が講師を勤められたNHK「ギターをひこう」の生徒だったものです。
先生の死去のニュースを昨日、現代ギター誌(4月号)で初めて知りました。
今年の年賀状もいつもどおり私の演奏会への励ましの言葉を添えて戴きましたので、それほどの重病だったとは知りませんでした。
ショックです。
先生とNHKで過ごした1年間のエピソードやレッスンの内容を伝えることが私の使命かも知れないと思いメールします。
ご質問等ありましたら、いつでもメールください。
貴重な資料ありがとうございます。
本日、お別れの会にいってきました。
私淑している一ファンとしてですが。
日本は至宝のひとつを失ってしまったと
思います。
チェット・アトキンスのように年を重ねると
プロデューサー業にシフトされるようにして
長命を保ってほしかった。
先生のレベルは高すぎたのでしょうね。
病気が原因のようですが、気楽に
長生きしてほしかったです。
フジコ・ヘミングさんと逆のパターンです。
でも、当時NHK経由とはいえ(生で聞いたこと
はありません)、範彦先生の演奏を体感でき
たことは無常の幸せです。
これこそが魂をゆるがす神のレベルだと
思いました。
技術だけではないと思うのです。
先生には真摯さという言葉が似合います。
水野 拝